あおもりし かみまち でぶせんけいじばん

じょうしきてきにあやしいとおもっていればそんなだんせいをおいかけるはずはないのにとおもってもみないところなのですがよくみればしょうじきでおもいこみのないかのじょたちのようなおんなのこはきけんなおとこだとはんだんしてもそのあいてにみをゆだねます。
かつてじょせいがなんにんもぼうりょくじけんにそうぐうしたりいのちをなくしたりしているのにところがあんなにゅーすからがくしゅうしないじょせいたちはいやなくうきをうけながしてあいてにいわれるがままいわれたとおりになってしまうのです。
かこのかのじょのたいしょうとなった「ひがい」は、かみまちだれもがみとめるはんざいひがいですし、じょうしきてきにほうてきにしょばつすることができる「じけん」です。
けれどもであいけいさいとのなかまになるじょしは、どういうことかききかんがないようで、いつもならずぐにあてはまるきかんにうったえるようなこともあおもりし、てきとうにやりすごしてしまうのです。

ビルで起きたあおもりし かみまち でぶせんけいじばんは海に限る

けっかてきに、かがいこういをいったものはこれほどわるいことをしてもばれないんだでぶせんけいじばん、しょうだくしてもらえるならとことんやろう」と、ずにのってであいけいさいとをしようしつづけかみまち、いやなおもいをするひとをふやしつづけるのです。
「だまってゆるす」ときめてしまえば、かんだいなひびきがあるかもしれませんが、でぶせんけいじばんそのそこうこそがあおもりし、はんざいしゃをぞうきょうさせているということをまずちょくししなければなりません。
ひがいをうけたおりにはただちに、あおもりしけいさつでも0えんでそうだんができるまどぐちでもどちらにしてもよいのでさきにそうだんしてみるべきなのです。

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