ふりんだんせいのとくちょう せふれ さがすさいと

いぜんここにのせたきじのなかで、「であいけいさいとでせっきょくてきだったからさがすさいと、いちおうあってみたらはんざいしゃだとわかった」となるじょせいにかんするおはなしをしょうかいしましたが、なんとそのじょせいはそのまま、そのだんせいとふつうにこうさいをはじめることになってしまいました。
ほんにんにはなしをきくと、「ふつうのひととはふんいきがちがい、きょうふをかんじてしまいいっしょにいくことになった」といいましたが、せふれじつはほかにもりゆうがあったようで、かのじょのたいぷとちかいこともありことわらなくてもよいとおもったようです。
ぜんかにもいろいろなものがありますが、ほうちょうよりもながいないふをつかってきずつけたのはじつのおやだったのですから、ほんとうにあぶないかのうせいがあるだんせいだとふつうはかんがえるのではないかとおもいますが、おしゃべりをしたかんじはそうではなくさがすさいと、やさしいぶぶんもいろいろとあったので、きんちょうすることもなくなって、ほんかくてきなこうさいになっていったということです。

ひきこもりでも出会えるふりんだんせいのとくちょう せふれ さがすさいとを見る習慣

そのじょせいがそのごどうしたかというと、ときおりそのあいてがあやしげなうごきをしていたので、せふれそうだんするようなこともなくいえをでてふりんだんせいのとくちょう、もうあわないようにしたのだとそのじょせいはきめたそうです。
いっしょのへやにいるだけなのにあんしんするひまがなくなり、ふたりでいっしょにくらしていたばしょから、とうぼうするかのようにでていくことだけかんがえていたとはなしていましたが、どうやらいっしょにいるときょうふかんがつよかったというぶぶんもたしかにあったようですが、いえばわかるようなもんだいで、すぐにちからにまかせるなど、ぼうりょくてきなぶぶんをみせるそぶりをすることがふえたからせふれ、おこづかいなどもわたすようになり、さがすさいとほかのたのみごともききいれて、ふりんだんせいのとくちょうそのだんせいとのせいかつはつづいていたのです。

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