せふれぼしゅう とうろくなし ほっかいどう せふれさがせるあぷり

かんたんにしんようしないそんなだんせいをおいかけるはずはないのにとすいそくするところなのですがよくいえばきれいなこころでうたがいぶかいじょせいとはぎゃくにおかしいひとだとおもっていてもそのあいてといっしょにいます。
かつてじょせいがなんにんもぼうりょくじけんにそうぐうしたりいのちをたたれたりしているのにけれどもそのようなにゆーすからおしえをえないじょせいたちはいやなよかんをうけながしてあいてにながされておもうつぼになってしまうのです。
まえにのべたようにかのじょのかぶった「ひがい」は、おおきなはんざいひがいですしせふれぼしゅう、どんなことがあってもほうてきにせいさいすることがきる「じけん」です。
だけどであいけいさいとにさんかするおんなのひとはほっかいどう、なにゆえにききかんがないようで、とうろくなしいつもならずぐにあてはまるきかんにうったえるようなことも、とうろくなしさらりとうけながしていしまうのです。

非日常的なせふれぼしゅう とうろくなし ほっかいどう せふれさがせるあぷりを繁栄させる

さいしゅうてきにせふれさがせるあぷり、かがいしゃはこんなわるいことをしてもりーくされないんだなにもいわないからどんどんやろう」とせふれぼしゅう、よかれとおもってであいけいさいとをゆうこうかつようしつづけ、ほっかいどういやなおもいをするひとをふやしつづけるのです。
「だまってゆるす」となればかんだいなひびきがあるかもしれませんがとうろくなし、そのおもいこそがせふれさがせるあぷり、はんざいしゃをぞうしんさせているということをまずみすえなければなりません。
ひがいをうけたとじにはゆうよなくせふれさがせるあぷり、けいさつでもむしょうでみかたになってくれるそうだんまどぐちでもどうなるかにかんけいなくまずだいにそうだんしてみるべきなのです。

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