おばさん ふりん しなやかなからだ すとれっち

Webさいとをであいのばとしてりようするひとにといかけてみると、だいぶぶんのひとは、おばさんうらさびしいというりゆうで、しなやかなからだごくたんきかんのかんけいをもつことができればべつにかまわないというみかたでであいけいさいとをかつようしています。
ようするに、すとれっちきゃばくらにいくおかねをせつやくしたくて、ふうぞくにかけるおかねもつかいたくないから、おかねがひつようないであいけいさいとで、「てにいれた」おんなのこであんかにまにあわせようしなやかなからだ、とかんがえつくちゅうねんおとこせいがであいけいさいとをつかっているのです。
ぎゃくに、「じょし」がわではそういなすたんすをつつみかくしています。
「あいてがとしうえすぎてもいいからすとれっち、りょうりができておかねがあるひとをかれしにしたい。であいけいをやっているおじさんはだいたいがもてないようなひとだから、ちょっとぶさいくなじょせいでもおもうがままにあやつれるようになるにきまってる!ひょっとしたら、いけめんのひとがいるかも、でぶはむりだけど、たいぷだったらでーとしたいな。じょせいの100%ちかくはこのようにかんがえています。

おばさん ふりん しなやかなからだ すとれっちの野郎

かんたんにいえば、じょせいはだんせいのようしかみついでくれることがめあてですし、だんせいは「やすいじょせい」をもとめてであいけいさいとをつかいこなしているのです。
そうほうともふりん、できるだけおかねがかからないおかいものがしたくてであいたがっているようなものです。
そんなかんじで、おばさんであいけいさいとをうんようしていくほどにすとれっち、おとこどもはおんなを「うりもの」としてとらえるようになりふりん、おんなもみずからを「しなもの」としてみなしていくようにまがっていってしまいます。
であいけいさいとをしようするひとのあたまのなかというのは、しなやかなからだじょせいをじわじわとひとではなく「もの」にしていくようなびょうてきな「かんがえかた」なのです。

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